闇黒日記2.0

一言メッセージ :福田恆存の名前を利用して嫌がらせを働くインターネットストーカー喜六郎(Kirokuro)の犯罪行爲に抗議する

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野嵜さん、御無沙汰してゐます。

G 氏とは俺の事かと爺氏言ひ、の心境ですが、勿論これは爺の事ですよね。

野嵜さんは、件のスレッドを書き込み禁止にしてから後、いくつかの科学に関する(もしくは「科学」を書名に頂く)書 物を読破されて、科学に関してかなり御理解が進んだやうで何よりです。ただ、惜しむらくは野嵜さんの所論をそのまま肯定・支持してくれる著者は見つからな かった御様子、ちょっと残念ですね。私(爺)は、歴史的假名遣ひ(と云ふ規範)をサポートする「科学的な仮説」を示して下さる事を心待ちにしてゐたのです が。

それはさうと、最近お書きになった記事「価値観としての科学」には、少し勘違ひといふか「論点ずらし」が有るやうなので爺の認識を書かせて頂きます。

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爺は「科学と言つたら自然科学以外には有り得ない」等とは思つてゐませんし、さう主張してもゐないと思ひます。(科学でなければ価値が無い、等とも思って ゐません。)議論を通じて一貫して「反証主義に照らせば」と意味を限定してゐます。その上で、反証主義に照らして「も」歴史的假名遣ひは科学的である、と 主張されたのは野嵜さんの方です。爺は(むしろそれは有り得ないだらうから)野嵜さんの仰る(人文)科学とはどう云ふ事(定義)でせうかと問ひ続けてゐま す。然程「無茶な要求」でもないと思ひますが如何?

云はずもがなかと思ひますが、反証主義は「仮説」についての議論なので、当然、科学的な(反証可能な)仮説が有るかどうかが焦眉の論点になります。なの で、野嵜さんがそのやうな「仮説」を挙げて下されば爺は喜んで納得する(かも知れません)。しかし、爺はそれだけに固執してゐるのではなく、もし野嵜さん に「(人文)科学」についての別の「定義」があり、歴史的假名遣ひがそれに沿つてゐる、と仰るなら真摯に検討したいので、それを示して頂きたい、と申し上 げてゐるのです。

2009/8/15(土) 午後 5:55 [ gahahayoumustbekidding ]

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好い加減にして呉れませんか。あなたはかなづかひは人間が恣意的に弄つて良いと主張してゐますが、私はそんな事は許されないと云ふ立場です。森鴎外もさう言つてゐます。

假説を擧げるも何も、假名遣研究と言つてゐるでせう。擧げてゐるではないですか。それをあなたは「擧げてゐない」と言ひ續け、人を困らせて、それで「論破した!」と言つて好い氣になつてゐるんです。止めて貰へますか。

人文科學と言つたら、常識で考へれば解るでせう。何をとぼけてゐるんですか。とぼける人は何時までも永遠にとぼけ續けて、「なんですか」「なんで すか」と執拗に質問して、相手を責立て、それで相手が嫌がるのを見て愉しむ。あなたはさう云ふ惡質な人間でせう。だから「ガハハ」なんて品のない事を平氣 で言ふ。そもそも「ガハハ」なんて平氣で書けるあなたがかなづかひについて「美」が何うの斯うのと言つたのが、嘘なんです。なんで「ガハハ」なんて平氣で 言へるんですか。

2009/8/15(土) 午後 10:25 [ nozakitakehide ]

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「ガハハ」と笑つてふざけ續ける限り、あなたが「眞摯に檢討したい」なんて言つても、嘘に決つてゐます。嘘吐きで嫌がらせ蛾趣味の人間と話をする氣はありません。

2009/8/15(土) 午後 10:27 [ nozakitakehide ]

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>人文学は、広義には自然学が学問的対象とする自然 (nature) に対して、人間・人為の所産 (arts) を研究対象とする学問であり、またそれを可能にする人間本性(human nature)を研究する学問である。これは学問を自然科学と人文科学に二分する分類法で、この場合、社会科学は人文科学に含まれる。一方、社会を人間と 対比された形で一個の研究対象と見るとき、学問は自然科学・社会科学・人文科学の三分される。こちらの方が、今日では一般的である。

[人文科学 - Wikipedia]

2009/8/15(土) 午後 10:27 [ nozakitakehide ]

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そもそも價値觀こそが私の問題であり、あなたが誤讀して勝手に論點を「反證可能性」にずらしたんです。
國語問題は科學的に扱はなければならない――科學ならば反證可能性がなければならない――そこで恣意的にかなづかひを定めた――國語改革は許されない――
ここに何か問題がありますか。何もありません。ところがあなたは、論點をずらして、「反證可能性」の議論を始めた。私は國語改革の話をしてゐたのです。あ なたが勝手に論點をずらした。それなのに、論點をずらしたのは私ですつて。ふざけるのも好い加減にして下さい。「ガハハ」「ガハハ」と、何が面白いんです か。

2009/8/15(土) 午後 10:30 [ nozakitakehide ]

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それに、私の主張を支持して呉れる人なら――あなたとの論爭の間に、私の言つてゐる事に賛成して呉れた人が複數ゐたでせう。あれが目に入らなかつたのですか。それなら、あなたは所詮、物が見えない人間です。

2009/8/15(土) 午後 10:31 [ nozakitakehide ]

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>私(爺)は、歴史的假名遣ひ(と云ふ規範)をサポートする「科学的な仮説」を示して下さる事を心待ちにしてゐたのですが。

ですから、過去の國語研究と何度も言つてゐます。ところが、あなたは「一つの命題で表現せよ」と無茶な要求をしてゐるのです。無茶でせう。e=mc^2のやうな原理で説明出來るほど、かなづかひは單純ではありません。

なぜなら、かなづかひは、人間の營みの所産だからです。

2009/8/15(土) 午後 10:37 [ nozakitakehide ]

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人間の營爲を扱ふのに、科學的な方法をとる――それが人文科學の方法です。人文科學の場合、人間のやる事が 研究對象となるから、自然の現象を扱ふのと違つて、單純化する事が必ずしも出來ない。法則と言つても、自然界の法則と違つて、人間界の法則と言ふものは決 して純粹に必然的な因果關係を示して得てはゐない。けれども、大體のところで法則化をするのが人文科學のやり方であり、それは自然科學と違ふが、しかし科 學である。

その點で爺は勘違ひを續けてゐるが――人文科學を自然科學の中に取込んで、自然科學と完全に一致させよと爺が主張してゐるのは明かであり、だから、要する に、爺は「科学と言つたら自然科学以外には有り得ない」と信じてゐる、と云ふ事になる。それを爺は「違ふ」と言つてゐるが、言逃れでしかない。

2009/8/15(土) 午後 10:37 [ nozakitakehide ]

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ところで、またここで執拗に例の言爭ひを繰返さうと云ふのですか。迷惑ですから最う二度と顏を見せないでい ただけますか。あなたとの言爭ひは、結構爲になりましたが、あなたはただ言爭ひを樂しみたいだけのやうに見えます。途中であなたがドグマを繰返してゐるだ けなのに氣附きました。こちらが如何に釋明しても、あなたは同じ事を繰返し繰返し言ひ續けるだけなのです。他人の言ふ事を理解する氣があなたには無いので す。こちらが一生懸命調べて書いても全てが徒勞になる。

あなたが執拗に書込み續ける限り、同じ事を私は繰返し繰返し言返す作業を續けなければなりません。作業をするのは嫌ですから、二度と書き込まないで下さい。出て行け。

2009/8/15(土) 午後 10:40 [ nozakitakehide ]

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――もちろん、爺は「ガハハ」と言つて私を嘲笑するだらうけれども、さう云ふ態度以前に人の言ふ事を何一つ聞入れようとしない頑迷固陋な爺らしさに私は辟 易してゐる。勝利宣言でもなんでもしたければすればいいから、二度と來ないで貰へますか。私の事を侮辱するのが樂しくて樂しくて仕方がないんでせうけれど も、侮辱される側は嫌で嫌で仕方がない。爺は、ドグマを信じて、同じ事を繰返してゐればいいだけだから簡單だが、こちらは國語學の勉強をしなければならな い。不公平極まりない。もし議論をしたければ、國語學の勉強を基礎からやつて、それから出直してきて下さい。それをやらない横着な議論を續けようとしてゐ るのだから、私は「出て行け」と言はざるを得ない。

2009/8/15(土) 午後 10:46 [ nozakitakehide ]

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既に論爭中に、何度も「國語學の事を勉強してきて下さい」と言はれて、爺は一度も勉強しませんでしたね。そ れに、そもそも何を見て勉強すれば良いかも知らなかつた。私にしてみれば、勉強にとりかかるなんて簡單な事なのだけれども、それすらも爺にはわからないと いふ――しかしさう云ふわからない人が相手では、何を言つても話になりませんよ。爺は、自分が反證可能性邊の事は知つてゐるかのやうに言つてゐましたが、 それも何かで聞きかじつて、斷片的に覺えた事に過ぎないでせう。感覺で解つてはゐない。だから杓子定規に規定がどうであると役人みたいな事を言はざるを得 ない。けれども、さう云ふ爺を説得して納得させられる人間はゐないですよ。

2009/8/15(土) 午後 10:51 [ nozakitakehide ]

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爺みたいな役人根性丸出しの人が、今のウェブには異常増殖してゐる。Kirokuroもその種の人間だが、 本當に斯う云ふ人々には話が通じない。「かう云ふ規定がある」のだからその「規定」に從つてゐなければそもそも話を聞き入れない――爺の態度ですが、これ では話が出來ない。好い加減、作業としての説明は嫌ですので、繰返します、爺は二度と顏を見せないで下さい。Kirokuroのところに行けば歡迎しても らへますよとまた言ひます。

2009/8/15(土) 午後 10:52 [ nozakitakehide ]

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何度言つても爺には解らないんでせうけれどねえ。

Wikipedia方面の人が見てゐると思ふので聞くけれども、あつちでも斯う云ふ人が「要出典」のタグだか何だかを貼り附け捲つてゐるんでないですか。それは良い事だと本當に思ひますか。

2009/8/15(土) 午後 10:57 [ nozakitakehide ]

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それにしても、私の言ふ事に直接贊同して呉れる著者がゐないにしても、全部の著者が間接的に私の言つてゐる事を支持してゐるんです。なのに、「そのまま肯定・支持」してゐないと言つて爺は「駄目」を出す。
價 値觀の問題なのだし、論理の問題なのだから、論理的に結論が引出せればいいだけです。となると、「そのまま」のやうな形式的・外見的な一致は無意味で、内 容的に正しければそれで十分なのです。それなのに爺は「そのまま肯定・支持」してゐなければ駄目と言張る。内容を理解しようとせず、ただ表面的な文言を見 て、爺は総てを判斷してゐる。これでは論理的に話をする事が出來ません。Kirokuroも同じで、本當に詰らない揚げ足取りをして「話をしてゐる」積り になつてゐる。斯う云ふ人とは話をしたくない。ちやんと話の内容を理解して、論理で判斷出來る人と話をしたい。

2009/8/15(土) 午後 10:59 [ nozakitakehide ]

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Kirokuroにすり寄つてゐる時點で爺がアンチ、愉快犯なのは明白ではありますが、「もっと建設的な事に時間を使ふ事に致」すんぢやなかつたのか爺は。話を蒸し返すのが「建設的」とでもいふのだらうか。
つくづくアンチは自分に甘い。 削除

2009/8/15(土) 午後 11:22 [ 佐藤 俊 ]

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それにつけても、googleで「Kirokuro」で檢策すると、闇黒日記の記事が先頭に出て来る上にKirokuroのブログがまるで出ないのには笑ひましたが。 削除

2009/8/15(土) 午後 11:27 [ 佐藤 俊 ]

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話を蒸し返すというか、堂々巡りに、また長々とお付き合いする気はありませんので、ご心配なく。

佐藤さん> もっと建設的な事に時間を使ふ事に致」すんぢやなかつたのか爺は。話を蒸し返すのが「建設的」とでもいふのだらうか。……
野 嵜さんが「G 氏は」と引き合いに出して、私の意見と全く違ふ事を書いてをられるので、訂正を試みたまでですが。それに対して、また予断・忖度・悪罵・レッテル張りのテ ンコ盛り、かつ的外れのコメントを山程つけて、おまけに佐藤さんまで登場して……。おふたりの態度は、昔の堂々めぐりの議論を懐しんでゐるようにも見え る。といふか、これがお二人の狼狽した時の通常の反応なんでせうか。

で、また、新たな記事を立てて、そこに
野嵜さん> 爺氏は、歴史的假名遣ひの規範が制定されてから、その説明のために國文法が作られた、と解釋して……
等と出任せを付け加へる。

爺を煽っているのですか?

2009/8/16(日) 午前 4:36 [ gahahayoumustbekidding ]

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あなたがたには「反証主義」はおろか、まともな科学論さへ無理のやうなので、今さらそのトンデモ議論を論ふつもりはありませんが、その中で爺を引き合ひに出したり、間違った忖度をするのは止めていただきたい。特に最近の二つの記事は訂正するか削除して下さい。

2009/8/16(日) 午前 4:37 [ gahahayoumustbekidding ]

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私には、私の言つてゐる事を「私の意見と全く違ふ事を書いてをられる」とだけ言つて、何處がどう違ふのかを説明もしないで濟ませてゐる爺氏が横着極まる人 間であるやうにしか思はれません。私は爺氏の考へを正しく述べたのですから。それに何一つ反論しないで一言「違ふ」とだけ書く。

私はトンデモな事は何一つ述べてゐません。寧ろ、人文科學は存在しない、科學は全て自然科學である筈である、と主張してゐる爺氏こそトンデモであると思ひます。

2009/8/16(日) 午後 3:15 [ nozakitakehide ]

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人文科學と云ふものの存在を認めるのであれば、爺氏は何うして「人文科學とはどう云ふものなのですか」と執拗に質問したのでせう。人文科學等存在しない、と爺氏は確信してゐるから、わざと質問して人を困らせようとした違ひありません。
さうではないのですか。ならば人文科學と云ふものが「ある」と爺氏は知つてゐる。知つてゐるならば、敢て問題にする必要はない訣です。

2009/8/16(日) 午後 3:18 [ nozakitakehide ]

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理窟ですよ。理窟。理窟がわからないのは爺氏です。爺氏は、理窟が解らないのだから、トンデモの人です。理窟が解るなら、私の言つてゐる事は解る筈です。

理窟が解らないから、爺氏は「野嵜さんの所論をそのまま肯定・支持してくれる著者は見つからなかった御様子」と言ふ事が出來る。理窟が解るなら、私の所論を結果として肯定・支持する著者許りであると云ふ事が解つた筈です。

人文科學と云ふものが「ある」と云ふ事は餘りにも明かだと思ひます。そこで科學的な方法による研究と云ふものが近代に至つて採用されつつある事實も全ての 研究者が肯定するところであると思ひます。それは餘りにも當り前の事であり、誰も今さら改めて大袈裟に言立てはしないのですが――だからと言つて言葉を扱 ふのに、爺氏が主張するやうに、非科學的な方法を「使ふべきだ」と云ふ結論を引出す事は、許されません。

2009/8/16(日) 午後 3:26 [ nozakitakehide ]

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国立国語研究所は「国語に関する科学的、総合的な研究を行なう」機關として設立されてゐます。爺氏は国立国語研究所を「トンデモ機關」であると極附けてゐる訣です。

非科學的な態度で國字改革を實施した後に科學的な態度をとつても既に時遲しであるのですが、国語研究所は、狙ひとしては、科學的な國語の調査・研究を行ふ機關であります。
順 序としては、科學的な調査・研究があつて、その後にその結果を基にして「国語国字の改善」を行ふのが筋です。国語研究所が設置されてから、国語改革が行は れる必要があつた。理念と現實とが逆になつてしまつて、意味はまるで無くなつてしまつてゐますが――しかし、私の主張が間違つてゐない事は、国立国語研究 所の存在とその理念を見れば明かだと思ひます。

爺氏は国立国語研究所はトンデモだと主張してゐる訣ですが、そこで行はれてゐる研究が全てトンデモである事を證明する積りはありますか。

2009/8/16(日) 午後 3:32 [ nozakitakehide ]

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爺氏は、かなづかひの研究は規範の研究であるから科學ではあり得ないと述べました。これは「國文法の研究者が研究してゐたのは、既に存在する規範である」と爺氏が認識してゐる事を意味します。だから私はさう書いただけです。
――違ふのですか。例によつて「違ふ」の一言で爺氏は私を論破した氣になつてゐますが。

しかし、ならば、自然に存在する國語を研究者が觀察して、研究を行つた――規範の研究ではない事を、爺氏は「知つてゐた」事になります。

爺氏がかなづかひ研究を非科學的だと主張したのは、とぼけてゐたのだ、と云ふ事になります。

煽つてゐると云ふ指摘は、或意味「正しい」ですね。結果として爺氏の主張に混亂と矛盾がある事を浮彫りにするのが狙ひである訣ですから、ただ爺氏を怒らせるだけの「意味のない煽り」とは違ひますが。

2009/8/16(日) 午後 3:39 [ nozakitakehide ]

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>特に最近の二つの記事は訂正するか削除して下さい。
本音が出たな。
要するに爺は「ノザキが發言するのは、不快だから黙れ」、といふわけだ。
野嵜さんの主張が眞實間違ひだとしても、その是非を判斷するのは讀者の裁量であり、それこそ批判する自由もある。
そもそも何を主張するかは自由であり、webとはさういふ場だ。他人の主張を批判するのは大いに結構。しかし「黙れ」などといふ權利は誰にもない。

それこそぼくの「本音」をいへば、爺こそ黙れ。 削除

2009/8/16(日) 午後 10:27 [ 佐藤 俊 ]

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「爺が黙れ」といふのは半分冗談だけど半分は本氣である。
web、といふより議論は互ひに發言する自由があるし、批判する自由もある。それがルールだ。
しかし爺やKirokuroのやうなアンチは、「ノザキに發言する自由など無い」と端から議論のルールを無視してゐるのである。ルールが守れない人間に議論に參加する資格はない。
かういふと「それはオマエが勝手に決めた『ルール』ぢやないか」と嘲笑するだらう。しかし野嵜さんはこのルールに從つてゐるはずである。
「ルール」を守る必要がないならば、こつちだつて爺やKirokuroに「黙れ」と言つていいではないか。
ぼくはルールを守るが。 削除

2009/8/16(日) 午後 10:30 [ 佐藤 俊 ]

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佐藤さん>
> 爺>特に最近の二つの記事は訂正するか削除して下さい。
> 本音が出たな。
> 要するに爺は「ノザキが發言するのは、不快だから黙れ」、といふわけだ。

佐藤さん、相変わらずの脊髄反射(大雑把さ)ですね。「爺の所論を捻じ曲げて言及してゐるところを訂正・削除して下さい」が「黙れ」と取れるんですか、佐藤さんには。

それでも「批判の自由はあり、『黙れ』等といふ権利は誰にもない」といふのは正論ですな。でも、それでは、野嵜さんの「出て行け」や「書き込み禁止」は「黙れ」そのものだし、「コメント削除」はそれ以前の「焚書坑儒」級だと思ふのですか、佐藤さんはどうお考へですか?

それより、文脈に関係の無い話を持ち込むのはルール違反だと思ふのですが。「歴史的假名遣ひは科学的である」に関係しないトピックは控えて下さい。 削除

2009/8/17(月) 午前 4:37 [ ]

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野嵜さん

相変はらずの循環論法ですね。しかし察するところ「爺を間違って引用してゐる訣ではないから訂正も削除もしない」と仰ってゐるのでせうか。でもそれは爺が「自分はそうは言ってゐない」で済むのではないですか?「いやそう言ってる」と仰るなら論拠を示すべきだと思ひます。

しかし考えてみれば、野嵜さんのこの曲解や「ねじ曲げ」が堂々巡りの原因なのでせう。 削除

2009/8/17(月) 午前 4:41 [ ]

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> 爺氏が主張するやうに、非科學的な方法を「使ふべきだ」と云ふ結論を引出す事は、許されません。

そんな事は主張してゐません。「歴史的假名遣ひが科学的である」を説明して下さい、と申し上げてゐる。で、最初の検証可能性(反論可能性)と「反証可能性」を混同した議論は間違ってゐる、と。

加へて、人文科学が無い、とも言ってゐない。ただ、人文科学的であるとはどういふ事か定義してみて下さい、と申し上げてゐる。先の記事で教条的でない事、といふ条件を挙げてゐたと思ひますが、でもこれだけでは「実証的」である事との差別化ができないですね。

で、そういった事ができなくとも、歴史的假名遣ひ(の規範)をサポートする科学的な仮説を挙げていただければ一挙に解決する、とも言ひました。野嵜さんは 「すぐには出せない、時間がかかる」と仰ったので、待ってゐたのです。爺の云ふ「野嵜さんの所論」とは、「そういふ仮説が有る」といふ事です。(ここでい ふ「科学的」が、反証主義に基いてゐなくても可、です。念のため。) 削除

2009/8/17(月) 午前 4:42 [ ]

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> 爺氏は国立国語研究所はトンデモだと主張してゐる訣ですが、そこで行はれてゐる研究が全てトンデモである事を證明する積りはありますか。

そんな事は主張してゐません。

しかし、設立趣意書に「科学的研究を行う」と有ったから、これまでもこれからも國語研究の全てが科学的であった、と仰りたいのなら、それは牽強附 会ですね。といふか、それが「歴史的假名遣ひ(の規範)は科学的である」を少しでもサポートしてゐるに違いない、と云ふのは、野嵜さんや佐藤さんの希望的 観測でせう。それまでの國語研究が科学的であったかどうは解らないし、よし科学的な部分が有ったにしても、それがどう歴史的假名遣ひに繋がってゐるのか解 らない。 削除

2009/8/17(月) 午前 4:50 [ ]

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> 爺氏は、かなづかひの研究は規範の研究であるから科學ではあり得ないと述べました。これは「國文法の研究者が研究してゐたのは、既に存在する規範である」と爺氏が認識してゐる事を意味します。

違ひます。で片付けたいのはやまやまですが、それでは理解してくれそうもないので……

私が言ったのは、「假名遣ひは規範であるから、科学的仮説ではあり得ない」です。だから「国文法の研究者が研究してゐたのは既に存在した規範であ る」なんて事は云ふ筈もない。でも、だから「假名遣ひ研究を非科学的だと主張」してゐる訣でもない。繰り返しになりますが、「歴史的假名遣ひ(の規範)は 科学的である」といふ野嵜さんの主張の根拠を問うてゐるのです。 削除

2009/8/17(月) 午前 4:53 [ ]

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何が「焚書坑儒」だ。ルールを守れないなら退場を命じられて當り前だ。このブログの持ち主は誰だ。持ち主の野嵜さんが「出て行け」といつてゐるんだから出て行け。いやだといふなら、話を聞いてもらへるやう爺が「努力」しろ。

>受けいれられなかったら、「どうやって説得してやろうか」って風には考えられないのですか?
これはかつて爺自身がいつたことである。しかし、こちらがいくら「説得」したところで、相手が絶對に「受けいれ」やうとしないのではどうしやうも無い。
野 嵜さんもぼくも、爺がいつてゐることを「理解」し、こちらの主張を「わかつてもらはう」と手を盡くした。しかし爺はそれを「オレの主張を理解できないオマ ヘらがバカ」「オマヘらのいつてることなど端から間違ひなのだからこつちが理解する必要はない」「自分の主張に自信が無いから周章狼狽してゐる」と嘲笑ふ だけ。
己は理解する努力を一切せず、ただ相手に服從を強いるのは「科學」的態度ではない。
爺がやつてゐることは「批判」ではない、ただのアンチだ。だから野嵜さんは「黙れ」といつてゐるのだ。ルールを守る氣がないのなら出て行け。 削除

2009/8/17(月) 午前 11:10 [ 佐藤 俊 ]

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>假名遣ひは規範である
さう主張する爺の「根據」は何だ。それこそどこの誰がいつたのか。野嵜さんにあれだけ「根拠を出せ根拠を出せ」といつてゐるのだから、まさか「無い」とはいふまい。
「規範」だとしても、その「規範」はどうやつて決められたのか。科學的研究による「假説」を「規範」としてゐるのではないのか。勝手に決められた「規範」であるなら、「かなづかひ」の研究が行はれるはずが無いではないか。 削除

2009/8/17(月) 午前 11:38 [ 佐藤 俊 ]

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>

>ただ、人文科学的であるとはどういふ事か定義してみて下さい、と申し上げてゐる。

>私が言ったのは、「假名遣ひは規範であるから、科学的仮説ではあり得ない」です。

>で、そういった事ができなくとも、歴史的假名遣ひ(の規範)をサポートする科学的な仮説を挙げていただければ一挙に解決する、とも言ひました。

すべて私の記事の意圖を完全に無視した揚げ足取りですね。爺は、私の言ひたい事を徹底的に無視して、用語の使ひ方と云ふ觀點だけから教條的に「批判」をしてゐるだけです。

あなたは私の意圖を汲取らうとしましたか。「汲取れないものは汲取れない」と言ひたいのかも知れませんが、それこそ循環論法ですね。

2009/8/17(月) 午後 7:47 [ nozakitakehide ]

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多分ですね、「假名遣と云ふものそのもの」が「どうである」かを爺は問題にしたいのです。けれども、私は、「假名遣を定める」時の態度を問題にしてゐるの です。そこに違ひがある事實を、爺は認識する事が出來ない。だから用語だの何だのに拘つて、教條的に批判して、それで「俺野嵜を論破したぜガハハ」みたい な態度をとれる。そして、私が幾ら説明しても、爺は自分が望んでゐる説明を私がしないから、何時までも同じ要求を繰返す。ところが、私には爺が期待してゐ る説明をする積りがそもそもないのです。なぜなら、そんな事に意味があると私は全く思つてゐないから。

2009/8/17(月) 午後 7:50 [ nozakitakehide ]

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先づ、「假名遣ひは發音を表すものであるべきである」「假名遣は語形を表すものであるべきである」と云ふのは、勿論假説ではありません。
けれども、「日本語における語の發音を表はしたもの」も「日本語における語の本來の語形」も、客觀的に示す事が出來る――調査・研究の結果として示す事が出來る。
この「べき」論と云ふ主觀的な部分と、「發音」「語形」と云ふ客觀的な部分が、今の議論の問題においては區別されなければならない事は、私は認識してゐるけれども、爺は認識しなければならない。

2009/8/17(月) 午後 7:55 [ nozakitakehide ]

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「發音」「語形」と云ふ客觀的なものについては、科學的に研究も調査もできる。この點は爺は認めなければならない。そして、表記の規範としてその原理に「發音を採用する」と云ふのでも「語形を採用する」と云ふのでも、何れにしても價値觀の採用に關する態度である訣だ。
ここで、一つの原理を採用する事が科學的な態度であるのであつて、それが重要である事を私は言つてゐる。

2009/8/17(月) 午後 7:58 [ nozakitakehide ]

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斯う言ふと、爺は「また話をずらしてゐる」と文句を言ふだらうけれども、その邊の事は全部重要なのであつ て、話をずらしてゐるのでなく、私は必要な問題をかたはしから擧げてゐるに過ぎない。それに爺はついて行けないから、爺は自分のペースで話をして、私に對 して優位に立たうとして、それで、用語の問題だの何だので質問を繰返し、私に答へさせようとしてゐる。
けれども、ここは私の「ブログ」なのだし、その「ブログ」の記事でのテーマの設定は私が「既にしてゐる」のだから、それに從つてコメントするならコメントしなければならない。

2009/8/17(月) 午後 8:04 [ nozakitakehide ]

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私が、「この世で爺が發言する事は一切許されない」と假に言つたとしたら、それこそ許されない。けれども、「ここ」は「Yahoo!ブログ - 闇黒日記2.0」であるのであり、そこで私がテーマを設定して記事を書いてゐる――さう云ふ文脈があつて、議論が展開されてゐるのだから、爺にはその文脈 に應じて、適切にコメントをする義務がある。その義務を果さないで、自分勝手な事を主張するのなら、「荒し」として處理されるべきである事は言ふまでもな い。

何しろ、私は一箇月以上、爺の「我が儘」に附合つたし、今もえんえん爺の主張に附合つてゐるのだから、そこで爺を排除しようとしても、當然許される筈だ。

例へば、何年も何年も誰かにつきまとはれて、それでも野嵜は文句一つ言へず、耐へ續けなければならないと、爺は言ふのだらうか。つきまとひ行爲・粘着行爲こそ「焚書坑儒」に外ならないでせう。

2009/8/17(月) 午後 8:09 [ nozakitakehide ]

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それから、爺は、「すべての國語研究は非科學的研究である」と主張してゐるから「假名遣研究は國語研究である」「假名遣研究は非科學的研究である」と云ふ 結論を出してゐるのでせう。さうではないのですか。なぜ「假名遣研究だけは非科學的研究だと斷定出來る」のですか。三段論法の大前提を示して下さい。

>假名遣ひは規範であるから、科学的仮説ではあり得ない

「規範の研究は非科學的研究である」「假名遣ひは規範である」「假名遣の研究は非科學的研究である」――さう云ふ事ですか。では、法學の研究は科學的研究 であり得る、と言つてゐる川島氏は(私の主張を直接肯定してゐる著者である訣ですが)あなたは川島氏を「トンデモ」として切捨てる積りですか。

2009/8/17(月) 午後 8:16 [ nozakitakehide ]

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既に述べた通り、爺が拘る「規範」なる靜的な概念に私は興味がなく、「ある一つの基準に基いて明かにされた客觀的なXを、規範として採用する事」と云ふ動的な過程に私は興味がある。
或は、「客觀的なX」と云ふ科學的なものと、それを採用する「態度」の價値觀とを、私は區別します。

その邊を嚴密に區別して言はなかつたのは私の考へが深くなかつたからですが、しかし、誰が何う考へても、その邊の區別には想到するので、それで川島氏にしても他の人にしても、人文科學の科學的な側面と價値觀の側面との區別と云ふものは、常に指摘する事になる。

2009/8/17(月) 午後 8:21 [ nozakitakehide ]

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その邊を意地でも「區別するな」と主張するのが爺である訣ですが、その邊の區別こそが重要だと私は考へてゐるし、爺にも重要だと認識して貰ひたいと思つてゐる。その邊の事をきちんと認識できれば、私の話は解る筈。
細 かい所で不正確であつたとしても、大筋で私の言つてゐる事は正しい。そこで意地になつて重箱の隅をつつくやうな指摘を繰返して呉れるなら、それは野嵜の意 圖を徹底的に無視して、馬鹿に出來るところを誇張して野嵜を馬鹿にし、自分は頭がいい人間なのだとアピールして、好い氣にならうとしてゐるのだと、判斷し なければならない事になる。

2009/8/17(月) 午後 8:23 [ nozakitakehide ]

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實際、Kirokuroのやうに、人の言つてゐる事の中から兔に角「馬鹿にできさうな事」だけを拾ひ上げ、 それを極端に誇張して宣傳し、それによつて人を陷れ、社會的に抹殺しようと狙つてゐる人物が何人もゐるし、私はさう云ふ連中の攻撃を何年も受け續けてゐる から――經驗的に相手のやり口からその意圖を推測してしまふ。

今の爺も、私の發言の意圖を讀まないで、個別の語句に怒つてゐるのだから、「Kirokuro一派」の一人だらうと私は推測する事になる。

しかし、「しつこくしない」と言つてゐるくせに、爺は何てしつこいんだらう、と、あきれてしまふ。Kirokuroのやうに、しつこい態度をとると宣言し てしつこいのも困るが――要は、惡意に基いて、しつこい態度をとる人間は本當に困つた存在だと云ふ事だが、しつこい人間は自分のしつこいのは自分が惡いの ではない、自分を粘着させる相手が惡いのだ、と言つて、責任轉嫁をする癖があるから、本當にたちが惡い。

2009/8/17(月) 午後 8:28 [ nozakitakehide ]

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「或一つの前提に基いて或一つの結論を出す」――この時、假説でも主張でも、全稱命題で言はないと、反證も反論も出来ない。
或前提條件から、矛盾する二つの結論を、時と場合によつて、適當に引出して見せるのだつたら、誰もその人の意見が正しいか正しくないか、判斷する事はできなくなる。

ポパーの主義を理解してゐる人間なら、間違ひなくその邊の事は理解してゐる筈であつて、だから論理的に解るやうに話をせざるを得なくなる筈だ。爺の話は、そのやうな解り易さが全く無い。だから爺がポパーの主義を理解もしてゐない事は明かだと、私は思ふ。

全稱命題で示される假説「全てのAはBである」に對して、「或AはBでない」と云ふのはその否定である――これを示す事が論理的な否定である訣だが、ポパーはそれを科學における主張に關する考へとして應用したに過ぎない。
理念的な假説は全稱命題の形で表現される。それに對して否定を示すのに、例へば科學ならば觀察なり實驗なりに基くものだらうと云ふので、ポパーはさう言つただけだ。

2009/8/17(月) 午後 8:38 [ nozakitakehide ]

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言ひ方が何う斯うと云ふのでなく、自然淘汰説は觀察できないし實驗もできないと言ふので、ポパーは「科學でない」と言つたに過ぎない。

それが、蛾の觀察はできるから、ポパーはその事實を認めた。けれども、自然淘汰説そのものは、依然として全體として觀察なるものは成立たない。け れども、單に「科學的でない」と言ふと不当に低く評價する事になるし、さう評價する人が多く出て來たので、「便利である」と言つてポパーは持上げた訣だ。

最う何度も何度も説明したけれども爺は絶對に受容れようとしない。しかし、この邊は私の理解は正しい筈だ。これに對して爺は「いや、ポパーはこういった」 式の言ひ方で否定するけれども、解釋なのだから説明しなければならない、と云ふ事を爺は全く解つてゐない。もちろん、ぼろを出すまいと、爺は自分の言葉で 説明しようとしないだけだ。ずるいのだ。

2009/8/17(月) 午後 8:44 [ nozakitakehide ]

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爺は、野嵜の言つてゐる事が「わからない」から、野嵜の言つてゐる事は「間違ひである」と結論してゐる。しかし、そんな批判の仕方はあり得ない。
批判ならば、ある原理に基いて、自分の考へはかうである、と述べるのが筋だ。ところがその大前提を、爺は隱匿してゐる。爺はどのやうな價値觀に基いて、私を非難してゐるのか。

爺は、ただ、語句を問題にして、私の意圖を全部無視してゐる。これは、爺には主張がない事を意味する。が、それだと、私は一方的に責立てられるだけで、爺が一方的に有利になつてしまふ。

この手の攻撃の仕方は、Kirokuroのそれと同じで、甚だ無責任だ。

自分の立場を匿せば、相手を一方的に責立てるのに非常に都合が良い。だからKirokuroも爺も、立場を明かにしないで、人の言葉尻を捉へて、揚げ足を取ると云ふ攻撃の仕方をする。けれども、さう云ふやり方は卑怯だ。

2009/8/17(月) 午後 8:48 [ nozakitakehide ]

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全て私が今言つてゐる事は、繋がつてゐるのであつて、国語改革で、改革當事者が「現代かなづかい」を定める 時、或部分では表音主義を採用し、或部分では表語主義を採用した、また、「當用漢字」を定める時、行當りばつたりに字體を決定した――これでは、「或原理 に基いてセレクトした」と云ふのを檢證する事が出來なくなる。檢證でも反證でも似たやうなものだ。問題は論理なのであつて、否定出來るやうな假説でも主張 でもなければ、しては行けない、と云ふだけの事だ。どんな場合でも「反論の餘地」がなければならない。それがないのならば、それこそ「焚書坑儒」だ。私は さう言つたのだが、爺は語句に拘つて、「ガハハ」と嗤つて見せた。私の意圖を爺が完全に無視したのが、私は許せない。

2009/8/17(月) 午後 8:53 [ nozakitakehide ]

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事實としての文獻から、事實として「どのやうな書き方があるか」を知る事は出來る。その先に、爺は「どの書 き方が正しいのか」と云ふ規範的な判斷がすぐに出現すると信じてゐる。しかし、その據るべき規範は、基準が定められなければならない。その基準は、人間が 設定するものだが、「Xを基準として採用する」の「X」は、主觀的に「作る」以外に、客觀的なものを選ぶ事が出來る。そして「客觀的なX'」を選んだ場合 ――しかし、表音主義にしても表語主義にしても、「語Aの客觀的な發音はA'である」或は「語Aの本來の語形はA"である」と云ふのは假説であるが、それ は反證可能である筈である。

それに對して、「恣意的に作つたX」なるものは、誰も理論的に・論理的に文句を言ふ事が出來ない。が、それはその「X」が完璧な存在である事を意味せず、ただ單に採用者がそれを他者に押附けてゐると云ふ事を意味する。

2009/8/17(月) 午後 9:00 [ nozakitakehide ]

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「客觀的なX'」なるものを設定した時、檢證も反證も可能である――私はそれが科學的だと言つてゐるのだし、それが重要だと言つてゐる。

ところが爺は「用語が間違つてゐる」と言つて、えんえん因縁を附け續けてゐる。これは、理窟を理解する積りが爺に全く無く、ただ教條主義で人の言葉遣ひを咎めてゐる事を示してゐる。

私を非難する人の中で、惡質化するのは、たいていこの手合だ。兔に角しつこく「野嵜は言葉を知らない」と言ひ續ける。「無知」と云ふ事にして、「野嵜には 物を言ふ資格がない」かのやうなイメヂを作り上げようと言ふのだ。まさに「焚書坑儒」。然るに、私を默らせようとする手合に限つて、「野嵜こそ他人を默ら せようとしてゐる惡い奴なのだ」と必ず言ふ。

2009/8/17(月) 午後 9:08 [ nozakitakehide ]

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私は、或種の原理に基いて論理的に必ず出る結論を引出してゐるだけなのだから、押附けでも何でもなく、「私・野嵜」に「從へ」と言つてゐるのでもないのだが、私に反對してゐる人は常に「野嵜は他人を自分に從はせようとしてゐるのだ」「傲慢だ」と極附ける。

しかし、尤もらしい事を言つて他人を自分に都合の良い方向に誘導し、自分に從はせようとするのは、さう云ふ私を攻撃してゐる人々に良く見られる事である。Kirokuroなんかの方が、私より、遙かに傲慢なのだ。それは爺も同じ。

2009/8/17(月) 午後 9:08 [ nozakitakehide ]

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私を批判する人逹は、爺もKirokuroもさうですが、「正解」を知つてゐます。そして私にその「正解」 を言はせようとして――しかし私が素直に言はないものだから、私を嘲る。ところが、その「正解」なるものの成立する所以を、彼等は全く知りません。爺も、 ポパーの主義の背後にある論理を全く理解せず、だから私にその論理を説明しないまゝ、私に一方的に質問を浴びせたり、ただ「違ふ」だの何だのと結論だけを ぽつんと口にしたりしてゐた。

誰もが納得する大きな論理がある、その論理の下に、より限定的な論理が成立する。さう云ふ説明の仕方をするならば、解るんです。ところが、爺なんかはポ パーの言葉をただ金科玉條のやうに受取つて、機械的に書式にあてはめて表現する事だけを主張する。ポパーの論理が成立する、より一般的な論理を、爺は全く 知らないのです。

ところが私は、そのより一般的な論理、より大きな論理にこそ興味がある。

2009/8/17(月) 午後 11:46 [ nozakitakehide ]

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佐藤さん、

> 野嵜さんもぼくも、爺がいつてゐることを「理解」し、こちらの主張を「わかつてもらはう」と手を盡くした。

ほう、それは気がつきませんでした。これまでの佐藤さんの御発言で「解つてもらはう」と手を盡した例を二つ三っつ挙げていただけませんか。政治主義発言・トンデモ論理発言に終始していゐて、爺の理解の助けになった例等とんと記憶にございませんが。

>> 假名遣ひは規範である
> さう主張する爺の「根據」は何だ。

例へば、

野嵜健秀「復古假名遣」<http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/kokugo/rekishi/FukkoKanadsukahi.html> 他、多数

といふか、假名遣ひは「○○は××と書き表す」といふ「きまり」だから「規範」だと言つたのですが、そんな事でも典拠がどこかに無いと納得できないのですか。佐藤さん、「常識」は大丈夫ですか? 削除

2009/8/18(火) 午後 4:37 [ ]

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野嵜さん、

> すべて私の記事の意圖を完全に無視した揚げ足取りですね。爺は、私の言ひたい事を徹底的に無視して、用語の使ひ方と云ふ觀點だけから教條的に「批判」をしてゐるだけです。

成程、では少くとも爺の発言がこのやうであった事は認識されてゐるのですね。それでは、それに沿つて、記事の改訂をお願ひします。

それから、意図を無視してゐるのではなくて、どういふ意図で「歴史的假名遣ひは科学的である」と仰ってゐるのかをお聞きしてゐるのですが、どうしてそれには答へて頂けないのでせうか。野嵜さんの内心の意図を解れと云はれても、それは無理と云ふもの。

> ところが、私には爺が期待してゐる説明をする積りがそもそもないのです。なぜなら、そんな事に意味があると私は全く思つてゐないから。

勝手に人の意図を忖度して逃げ口上に使ってはいけません。 削除

2009/8/18(火) 午後 4:40 [ ]

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> この「べき」論と云ふ主觀的な部分と、「發音」「語形」と云ふ客觀的な部分が、今の議論の問題においては區別されなければならない事は、私は認識してゐるけれども、爺は認識しなければならない。

私が繰り返し「べき論」=規範と、「客観的な認識」=仮説を分けて議論しよう、と言ってきたのは、そういふ事です。

> 斯う言ふと、爺は「また話をずらしてゐる」と文句を言ふだらうけれども、

いや、文句を云ふどころか、実際そういう議論をしたかったのですよ。野嵜さんが「科学的である」と云ふ時具体的に何を意図しているのか。で、その上で、 削除

2009/8/18(火) 午後 4:44 [ ]

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> ここで、一つの原理を採用する事が科學的な態度であるのであつて、それが重要である事を私は言つてゐる。

これは間違ってゐる、といふか不十分でせう。「一つの一貫した原理を採用する」のは、トンデモ宗教でも、皇国史観でも、似非科学でも同じ。科学であるため には、その採用する原理が、反証可能でなければならい。いや、「人文科学的」に云ふならば、例へば、教条主義ではなく(アプリオリな前提を避け)、客観的 事実に基いていなければならない、等の条件を付け加へる必要がある、と爺は思ひます。野嵜さんが、このあたりをどう考へておられるのか、是非お聞きした い。

> それから、爺は、「すべての國語研究は非科學的研究である」と主張してゐるから「假名遣研究は國語研究である」「假名遣研究は非科學的研究である」と云ふ 結論を出してゐるのでせう。さうではないのですか。なぜ「假名遣研究だけは非科學的研究だと斷定出來る」のですか。三段論法の大前提を示して下さい。

そんな事は言ってません。(といふか、そんな粗雑な三段論法を思ひつく人の思考過程が爺には驚異です。) 削除

2009/8/18(火) 午後 4:45 [ ]

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> 爺>假名遣ひは規範であるから、科学的仮説ではあり得ない

>「規範の研究は非科學的研究である」「假名遣ひは規範である」「假名遣の研究は非科學的研究である」――さう云ふ事ですか。では、法學の研究は科 學的研究であり得る、と言つてゐる川島氏は(私の主張を直接肯定してゐる著者である訣ですが)あなたは川島氏を「トンデモ」として切捨てる積りですか。

法律学に引き付けて云ふなら、爺の所論は「法律は規範であるから、科学的仮説ではあり得ない」となって、川島氏の主張と何ら矛盾はしないですね。「トンデモ」として切り捨てたりしません。

> 或は、「客觀的なX」と云ふ科學的なものと、それを採用する「態度」の價値觀とを、私は區別します。

ええ、それは良い事ですね。私も「学問の成果としての仮説」とそれに基いた「規範」は分けて考へるべきだ、と繰り返し申し上げてゐる。 削除

2009/8/18(火) 午後 4:47 [ ]

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> その邊を嚴密に區別して言はなかつたのは私の考へが深くなかつたからですが、しかし、誰が何う考へても、その邊の區別には想到するので、それで川島氏にしても他の人にしても、人文科學の科學的な側面と價値觀の側面との區別と云ふものは、常に指摘する事になる。

ええ、ええ、私も「科学は価値中立であるべき」は常識であると思ってますよ。野嵜さんも、以前は兎も角、今やうやく同じ認識に至ったようで、嬉しい限り……なんて思ってゐたら、

> その邊を意地でも「區別するな」と主張するのが爺である訣ですが、その邊の區別こそが重要だと私は考へてゐるし、爺にも重要だと認識して貰ひたいと思つてゐる。

と来る。そんな事は言ってません。むしろ、規範と規範、仮説と仮説を区別して比較しないと意味が無いと言ってゐますし、"Warm Heart, Cool Head" は経済学者に限らず、社会科学者全般の大事な資質・心構えだと思ってゐます。 削除

2009/8/18(火) 午後 4:50 [ ]

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> 「客觀的なX'」なるものを設定した時、檢證も反證も可能である――私はそれが科學的だと言つてゐるのだし、それが重要だと言つてゐる。

> ところが爺は「用語が間違つてゐる」と言つて、えんえん因縁を附け續けてゐる。これは、理窟を理解する積りが爺に全く無く、ただ教條主義で人の言葉遣ひを咎めてゐる事を示してゐる。

「因縁」だ、「教条主義」だ、と人聞きの悪い、と受けはじめると、また蒸し返しモードになるので、無視する事にして、

そうそう、野嵜さん、話は具体的でなくてはいけません。「客観的な X'」を設定して、それが検証も反証も可能であるとき、それを科学的と言うのですね。やっと「野嵜さんの云ふ科学」がどんなものかについてよく理解できま した。爺の主張と然程変わるところは無いと思います(野嵜さんの「X'」を爺は「仮説」と呼ぶだけの事)。なので、「用語が間違ってゐる」なんて「因縁」 はつけませんよ。

で、ずーっとお願ひしてゐるのは、その「X'」の実例を挙げて下さい、といふ事に尽きます。 削除

2009/8/18(火) 午後 4:52 [ ]

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なんか執拗に爺は自分の立場を主張したいらしいが。

>話を蒸し返すというか、堂々巡りに、また長々とお付き合いする気はありませんので、ご心配なく。

嘘吐き。

なんで嘘を吐くのですか――と、斯うやつて質問するから「答へてやらなければならなくなつた」とか言つて爺は「長々とお付き合い」するのを正當化しようとするんだらうね。

2009/8/18(火) 午後 7:44 [ nozakitakehide ]

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>科学であるためには、その採用する原理が、反証可能でなければならい。

「現代仮名遣い」は「その採用する原理が、反証可能でな」いと私は言つてゐるだけですよ。説明終り。最うこれ以上言ふべき事はありません。爺も、聞くべき事は何一つないですね。もう何一つ、爺は言ふべき事がない。言ふ必要がない。ならば默つて御引取り下さい。

これ以上この「ブログ」に粘着するなら、爺は荒しです。もつとも、既に私はあなたが荒しだと看做してゐます。

2009/8/18(火) 午後 7:47 [ nozakitakehide ]

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>法律学に引き付けて云ふなら、爺の所論は「法律は規範であるから、科学的仮説ではあり得ない」となって、川島氏の主張と何ら矛盾はしないですね。「トンデモ」として切り捨てたりしません。

自分に都合良く解釋するのはやめていただきたいものですね。川島氏は、法律学は科學的でなければならない、と言つてゐるんです。「科学的仮説ではあり得ない」等とは言つてゐません。

2009/8/18(火) 午後 7:49 [ nozakitakehide ]

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>で、ずーっとお願ひしてゐるのは、その「X'」の実例を挙げて下さい、といふ事に尽きます。

既に擧げました。
ところが、あなたは「それではものたりない」と言つて却下したのです。ところが、十分なのです。

活用の研究と何度も何度も私は繰返し言つてゐます。或語が「四段に活用する」と云ふのは、全て假説であり、それら個別の事例について檢討可能であるから、 活用の研究は科學的である。そして、その結果として明かになつた語の活用形と云ふものを、本來の日本語の用言の形と認めて、規範に改めて採用するのが歴史 的假名遣の立場であるけれども、それは科學的な態度であらうと斯う説明すると、爺は「そんな事を言はれても私は興味がないのだから無視してやる」と言つて 人の説明を切つて捨て、「假説を擧げろ」「擧げろ」「擧げろ」と連呼する。

2009/8/18(火) 午後 7:58 [ nozakitakehide ]

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しかし、そもそも「かなづかひの研究を一言で表現する假説を擧げよ」と云ふ爺の要求は、無茶で、誰一人應ず る事が出來ない。生物學でも宇宙物理學でも、或ジャンルをそのたつた一つで覆ひ得る假説なんてものはあり得ない。無茶を要求して、人が困るのを見て、爺は 樂しみたいだけだ。

「樂しみたいだけ」と言はれると「そんな事言ってません」を爺は連呼するのだが、自分の言つてゐる言葉の意味を爺は理解してゐないと云ふだけの事だ。自分 が何かを言つた時、他人に何う受取られるかを、爺は全く考へてゐない。自分の言葉なら、客觀的な解釋は許されず、「自分」が勝手に意味を決定する事が出來 る。さう爺は信じてゐる。その癖、爺は私の主張を自分に都合良く歪曲して解釋し、その勝手な解釋に基いて非難を浴びせるし、それが許されると心から信じて ゐる。それでは話にならない。

2009/8/18(火) 午後 7:59 [ nozakitakehide ]

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……と言ふか、私はあきれてゐるのですが、依然として爺は國語學の事を何一つ知らないまゝ、ただ自分の立場を主張するだけの爲に、ここに書込んでゐる。

隨分時間が經つてゐるのに、爺は依然として國語學の事を何も知らない。そして自分の無知を棚に上げて、「野嵜に説明させる」事に固執してゐる。何なのだらう。

爺は、本當の事を明かにするのになど全く興味がなく、自分の主張をごり押しして人を屈服させる事にのみ興味を持つてゐる――としか、私には思へません。
或は、爺は未だに國語學の基礎を知る爲の參考書を探す方法すらもわからないでゐるのでないか。或は、參考書として何を選んだら良いのかすらわからないでゐるのでないか。
大學のテキストを買つて呉れば良いだけですが、なぜか爺はそれを絶對にやりたくないらしい。大きな本屋さんに行けば、幾らでも「ある」のに、爺は本屋さんにすらも行きたくないらしい。

忙しいとか言ひ訣する積りか知らんが、それなのに「ここ」を毎日チェックして、書込む時間の餘裕は「ある」らしい。

2009/8/18(火) 午後 8:05 [ nozakitakehide ]

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で。

>話を蒸し返すというか、堂々巡りに、また長々とお付き合いする気はありませんので、ご心配なく。

そろそろ公約は守つていただきたいものですが、爺はまだ何か言ひたいですか。

繰返し書いておきますよ。

>科学であるためには、その採用する原理が、反証可能でなければならい。

「現代仮名遣い」は「その採用する原理が、反証可能でな」い。

説明終り。まだ何か不滿がありますか。もうありませんね。

2009/8/18(火) 午後 8:10 [ nozakitakehide ]

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「ルール」も「約束」も守れない爺が、「常識」が聞いてあきれる。 削除

2009/8/19(水) 午前 0:11 [ 佐藤 俊 ]

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「トンデモ」か。爺にさういはれるといふことはぼくは「まとも」といふわけだ。
つまりぼくは爺やKirokuroの側の人間ではないといふことだ。よかつたよかつた。
「政治主義」? Kirokuroのマネか。べつにぼくは政治を否定してゐるわけではないのだが。爺のやうな無法者に對しては「政治」もやむをえまい。

>公約
野嵜さんはちやんと「撤回」してゐるのだが、爺は「辯解」すらせず圖に乘る始末。でも「ノザキ」はあざけり爺は不問。
アンチのなれ合ひは氣色惡い。 削除

2009/8/19(水) 午後 8:14 [ 佐藤 俊 ]

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Yahoo!あんしんねっとから「コメントチェッカー不適切投稿確認のお知らせ」が來てゐるので削除したけれども佐藤さんが書込みされてゐるんで内容を轉記。

以下削除した投稿。
*--------*
>そろそろ公約は守つていただきたいものですが、爺はまだ何か言ひたいですか。
>そろそろ公約は守つていただきたいものですが
>公約は守つていただきたいものですが

http://noz.hp.infoseek.co.jp/diary/20070201.html
「闇黒日記を店仕舞ひするの記」
「けれども、それが何にもならないのなら、言葉を信ずる者には沈默こそが撰擇すべき道です。私は最う何も言ひません。」
「沈默こそが撰擇すべき道です。私は最う何も言ひません。」
「私は最う何も言ひません。」

wwwwwwwww

2009/8/19(水) 午前 0:13 [ 公約 ]

2009/8/19(水) 午後 8:24 [ nozakitakehide ]

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と言ふか、私の「公約」なるものは、別に「守らなければならない約束」ではなく、嫌がらせを受けた事への對 處なのだから、そもそも「守る」必要がない。それがこの手の頭のをかしな人には解らない。爺氏にしてもKirokuroにしても、或はこの嫌がらせを書込 んだ人物にしても、この手の異樣な解釋によつて――或は、自分が引出した相手の發言を都合良く利用して――「矛盾だ!」とか極附けて、困らせようとするけ れども、とぼけるのも好い加減にしてほしい。少くとも、この種の指摘をしても、まともな人間なら誰一人まともに取合はない。私に嫌がらせを仕掛けてくる人 は、嫌がらせを繰返せば繰返す程、野嵜が嫌がらせによつて壓迫を受けてゐる=被害者である事を、世間に知らしめる事になる。

野嵜を非難する人間が「公約」氏のやうな人間の屑許りであると、正當に野嵜の誤を指摘する人すらも、恰も嫌がらせを仕掛ける異常人格者の一味であるかのやうに世間に思はれてしまふ。それでは野嵜を批判しようと思ふ人間がゐなくなつてしまふ。それでは困る。

2009/8/19(水) 午後 8:30 [ nozakitakehide ]

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ところで、何が「荒し」であるかを論ずるのは、價値觀の檢討であるから、科學的な議論とは必ずしも呼べない。
けれども、或種の物の言ひ方や用語があればそれは「荒し」の發言であらうと假定する事が出來る。
斯うした假定に基いて、Yahoo!あんしんねっとはコメントチェッカーのサーヴィスを提供してゐる訣だが――このサーヴィスは科學的な技術であると言へる。

ところで爺氏は、野嵜が「假名遣ひの研究」と言つたのを「假名遣『を』研究する事」だと解釋した訣だが、私は「假名遣を定める事の基礎となる研究」の積り で言つてゐる。爺氏は、自分の用語について他人がした解釋について「違ふ」と斷定する權利を持つてゐると主張してゐるから、私が爺氏の解釋が違ふと指摘す る權利も認めるであらう。

2009/8/19(水) 午後 8:36 [ nozakitakehide ]

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>私の「公約」なるものは

「公約」氏が勘違ひすると行けないから一往指摘しておくけれども(まともな人間ならば絶對に勘違ひしない筈だ)、これは「公約」氏の所謂「公約」――「公約」氏が「これは公約であるぞwwww」と極附けただけのもの――であつて、私自身は公約だとそもそも思つてゐない。

2009/8/19(水) 午後 8:42 [ nozakitakehide ]

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「公約」氏が仕掛けた(「公約」なる人物は恐らく「義」である)嫌がらせによつて私はやる氣を無くして「闇 黒日記」を投出して、捨臺詞を吐いた訣だけれども、そんなものを「公約」だと思つて信じた人間は、まともな人間には一人もゐない。をかしな人間が「ざまみ ろ」と喜んで、何時までも覺えてゐたに過ぎない。私は「闇黒日記をやめる事、永遠に書かない事を約束します」とは言つてゐない。「私は最う何も言ひませ ん。」は、約束してゐるのではなく、感想を言つたに過ぎない。それが「公約」事「義」には解らない。Kirokuroも解らない。彼等には、「野嵜が自分 自身に適用すれば都合が惡くなる事」ならば、「適用すべきものであるかどうか」の檢討拔きに、「嫌がらせに利用できる」ものであるからと言つて即座に適用 しにかかる惡い癖がある。この癖があるから、Kirokuroや「義」が言ふ「論理」は常に當てにならない。

2009/8/19(水) 午後 8:42 [ nozakitakehide ]

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「公約」氏に「反論して見ろ」と言つても、「公約」氏は「お前はこう言っただろwww」と言ふだけだらう。論理的な説明は絶對にしない。それは「できない」からだが――しかしこの種の「××と言ったでしょ」式のやり方は、爺氏もKirokuroも、共通して愛好する。

掲示板での論爭において屡々出現する、發言を引用しては相手の人格を否定する「引用厨」は、たちが惡いし頭が惡いと先日虹裏の「」が、政治スレで指摘してゐた。何うも政治關係で狂つてしまつてゐる人間は必ずこの種の厨に成下がるらしい。

2009/8/19(水) 午後 8:47 [ nozakitakehide ]

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それにしても、「公約」氏は、爺が「公約」を「守らないでいい」と言ふ爲に登場したのだらうか。「公約」氏 の「支援」を爺氏は受容れるのだらうか。もしさうするのならば、「公約」氏と爺氏とは同類であり、惡質な人物である事が確定するのだが――さう云ふ惡質な 人物だからこそ、私の言つてゐる事を、端から理解しようとせず、ただ私の「矛盾」を指摘して私の人格を否定するだけの爲に「ここ」に書込んでゐる――と、 さう世間から判定されて、爺氏はそれで良いだらうか。

2009/8/19(水) 午後 8:51 [ nozakitakehide ]

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もつとも、「公約」を守つて、反論もせずただ默つて引下つて呉れるのならば、爺氏にはそれなりの見識があると私も世間も評價せざるを得ないだらう。

ちなみに、「公約」のやうな「義」の仲間は、機會を見附けては議論のテーマと何の關係もないただの嫌がらせの書込みをして人を不快にさせようとす る、と云ふ藝のない事を、いつまででも繰返す。豫言しておくが「公約」こと「義」は、何時まででも飽きずに粘着行爲を繰返す事だらう。Kirokuroも また。彼等は、議論の内容について考へて、何が正しいかを考へ、眞實を明かにする事よりも、野嵜と云ふ論者を叩き潰す事の方が遙かに世の爲人の爲になると 心から信じてゐる。私の豫言は良く當る。「義」は、野嵜に嫌がらせを仕掛ける度に、野嵜の豫言を實現させて、自分が積極的に野嵜の正しさを證明してゐる事 を、思ひ出して、悔しがるがいい。

2009/8/19(水) 午後 8:57 [ nozakitakehide ]

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http://blogs.yahoo.co.jp/nozakitakehide/32887956.html

「公約」氏こと「義」は、私の事を非難できる程、人格的に立派であるのだらうか。

2009/8/19(水) 午後 9:05 [ nozakitakehide ]

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さう言へば、この種の「公約」が「守られねばならない」としたら、「野嵜さんにはますます不快になっていた だきます」とか言つてゐた粘着が逃げたのを「公約」氏は既に非難してゐなければならないはずだが、なぜ「公約」氏はその「しなければならない非難」をしな いで、野嵜だけを非難してゐるのだらう。「アンチのなれ合ひ」と云ふ指摘は正しい。そして、この種の「同じアンチ」同士の馴れ合ひが目の前で行はれた以 上、さうした馴れ合ひを許せないとする爺氏もKirokuroも、「公約」氏の明かな矛盾を非難しなければならないが、Kirokuroには「同じアン チ」を非難する公正さは、ポーズであつても、發揮する事は出來ないだらう。

しかし、公正さが態度に少しも見られないのならば、その人は政治主義者なのである。政治の事を論ずるにしても、公正に各價値觀を論ずる事は出來る。それのできない――Kirokuroのやうな――人が、政治主義者である。

2009/8/19(水) 午後 9:05 [ nozakitakehide ]

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しかし、この「公約」氏にしても、或はKirokuroにしても、普通の人は「アンチ」であると判る。如何にもアンチアンチした言動を繰返してゐるからだ。

彼等は如何にもアンチらしい偏向した態度が顯である。この事は、普通の人なら必ず「をかしい」と思ふ筈であるが、それを彼等は何とも思つてゐないのだらうか。

Kirokuroも「義」も、私に常に誠實さを要求してゐる。これは私に誠實さがあると彼等が判斷してゐる事を意味しないか――私に誠實さがあるからこ そ、そこに附け込めば私が困るだらう、さう彼等は思つてゐる。野嵜を攻撃するのに利用できると踏んでゐる訣だ。一方、彼等は、自分自身が誠實に振舞はうな どとはまるで考へてゐない。

2009/8/19(水) 午後 9:34 [ nozakitakehide ]

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――他人の誠實さ、他人の善意に附け込んで、相手をいたぶつてやらうとしてゐる人間の言動は、普通の人間な らば察知できよう。「いや、察知なんて出來やしないね」とKirokuroや「公約」氏が考へてゐるとしたら、彼等は人をなめてゐるのである。恐らく本當 にさうなのであらう。私は其處まで人を舐めてかかる事は出來ない。

私が誠實か何うかは神樣にしか判らない事だが――私だつて自分が誠實か何うかは判らない――少くとも誠實さうに振舞つて見せる方が、他人に一方的に誠實さ を要求する態度をとるよりは、他人樣からは信頼されるだらうし、有利であらうとは、思つてゐる。Kirokuroも「公約」氏も、私を責立てて、それ「だ け」で自分逹が立派になり得るものとは、思はない方が良い。

2009/8/19(水) 午後 9:34 [ nozakitakehide ]

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「公約」氏は、私が「公約を守っていないwwww」と書く事によつて、立派になつただらうか。寧ろ人格的陋劣さを露呈しただけでないか。
Kirokuroは、私に粘着する事で、立派になつただらうか。陰濕さが世間に知られただけの事ではないからうか。

――私は、議論の場で、慥かに敵の論者を罵倒するけれども、その邊のレトリックをレトリックだと承知してゐる。議論の目的は、互ひに證據を出し合 ひ、相手の主張を檢證し合ふ、と云つた事を通して、物事の理非を明かにし、何が正しいかを互ひに改めて認識し合ふ事だと思つてゐるし、さう振舞つてゐる積 りだ。物の言ひ方に棘があるのは、私が神樣でない、不完全な人間であるからだ。其の程度の事は承知してゐる。けれども、相手の人間も、所詮は人間だ。同じ 人間同士で貶し合つたとしても、結局程度の差に過ぎない。ならば人格の優劣を競ふなんて事をしても意味はないのであつて、だから私は議論をしても自説の論 理的な正しさを訴へる事にしか興味を持たない。

2009/8/19(水) 午後 9:40 [ nozakitakehide ]

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然るに、「公約」氏やKirokuroは、論者の人格を問題にし、特に野嵜の人格だけを問題にして、結局は野嵜を侮辱して、それで快を貪つてゐる。
け れども、人格だけを問題にするのならば、快を貪る自分の人格の陋劣さは、恥づべき事だと解つてゐて、さう云ふ自分を許せないのでなければならない。自分は 許す、他人は許さない――それは、人格を問題にしてゐる人間には、致命的な態度である。「公約」氏もKirokuro氏も、人格を最重要の項目と看做して ゐるのだから、自分の人格について既に反省し、自分の態度を改めてゐなければならない。即ち、人間として立派に振舞つてゐなければならないのだが――粘着 である時點で、人間として腐つてゐるのは明だ。

2009/8/19(水) 午後 9:44 [ nozakitakehide ]

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――さて、このやうな事を言つたとて、私が偉さうに振舞つてゐると非難して呉れる人がゐるとしたら、それは願ひ下げだ。私は偉ぶつて言つてゐる積りはありません。ただ理窟を言つてゐるだけです。

理の當然としての結論を述べた時、「理窟を楯にとつて相手に自分の主張を押附けてゐるから、許せない」のやうな事を言ふ人がゐる。それはをかしい と思ふ。なぜなら、他人が自分に押附けるのは許せないとその人は言つてゐるのだが、それならばその人が他人に押附けを許してゐるのはをかしいからだ。論理 で押附けるのが許せないならば、非論理で押附けるのはもつと許せない事だ。全て主張する事がそれ自體として許せない筈――ところが、それが「自分がする 事」だからと言つて「許せる」のは、身勝手と云ふものだらう。

2009/8/19(水) 午後 9:48 [ nozakitakehide ]

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誰もが認める價値觀がある。その價値觀から、論理的に導き出される價値觀――それは「理の當然として守らな ければならない」ものでこそあれ、「誰某が押附ける」ものではない。ところが「自分」が基準となつてゐる人はそれが解らない。解らないと言ふより、受容れ られない。が、理窟の通つた主張に、反論は出來ない。身勝手さを露呈する事も出來ない。となると、「押附けるな」式のスローガンを喚く事しかできなくなる 訣だ。
或は、利巧な人間は、自分は「言つただけだ」と言逃れする。けれども、主張を「否定するな」と言ふ事は、即ち自分の主張を受容れろと要求する事に外ならず、押附けをやらかしてゐる事になる。

2009/8/19(水) 午後 9:52 [ nozakitakehide ]

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私は自分が立派だと主張してゐるのではない。誠實な人間だと主張してゐるのでもない。もちろん、納得して呉れない人は絶對にして呉れないだらう。

けれども、私に嫌がらせを仕掛けて默らせようとした當人が、私が嫌がらせを受けて默らうとした時に發した發言の意圖を汲みもせず、私を攻撃する材料として利用する事だけは許されないとは、聲を大にして言ひたい。「公約」なる人物は、私に嫌がらせを仕掛けてゐる當人である。

公正な第三者が裁定するなら兔も角、「公約」なる人物は、野嵜を人間とも見ない、偏見をあらはにしたアンチであり、そのアンチが、アンチにとつて有利なやうに話を歪曲してゐるのである。この種の政治主義こそ許されない。

2009/8/19(水) 午後 9:58 [ nozakitakehide ]

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或は、「公約」氏のやうな揚げ足の取り方が許されるのなら、檢察が被告に強要して自白させた時、その自白は有效である訣だ。或は、相手を壓迫して無理やり言葉を言はせ、その言葉を楯にとつて、相手を脅迫する。

――「公約」氏は、この手の事を、「正當の方法である」と積極的に主張したいのだらうか。「公約」氏は、自分に都合良く相手の言葉を利用する事だけを考へてゐる人間である。

2009/8/19(水) 午後 10:03 [ nozakitakehide ]

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野崎さんがちゃんと公約を守った例。

平成十七年二月十五日
「ブログで解雇された」--元グーグル社員認める - CNET Japan
「ブログ」をやるなら無職に限る。 削除

2009/8/20(木) 午前 0:42 [ 喜六郎よ見ろ! ]

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私が最近職場のミーシャくんの寫眞を上げてゐるのは「公約違反」なのかな。

なんか公約でも何でもないものを「公約」と言ひさへすれば、他人の責任を追求できると本氣で思つてゐる人がゐるんだな。呆れた。

ウェブで個人の責任を執拗に言ひ立てる人は異常――斯う言つたらこれが「公約」になるのかな。

「公約」=「喜六郎よ見ろ!」だと思ふけれども、この種の匿名の人は「公約」の類とは無縁で、氣樂で良いですね。

しかし、「「ブログ」をやるなら無職に限る。」つて、何處を何う讀めば公約になるんだらう。文脈も何も無視して「公約」と極附けて「責任を取れ」と言ふの も頭が惡いが、ここまで約束と關係のない發言を採上げて、本氣で「公約だ」と言へてしまふと云ふのは、ちよつと何うかと思ふ。

2009/8/20(木) 午後 3:19 [ nozakitakehide ]

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一方で爺氏は「公約」通り引下がつたやうだが、引下るのが當り前の場で引下がつたのだから別に評價する必要もない。

しかし、選擧があるんで冗談で「公約」と表現したら、マジレスする人が出て來るんだから……ウェブではうつかり冗談も言へない。そして「冗談」と 言へば、全くのナンセンスで意味のないものと極附けて、即座にマジレスを始めるのがをかしな人の特徴。ジョークの類には、一面で笑ひをとる目的があるのと 同時に、他面ではちやんと意味がわる訣だが、マジレスする眞面目な人逹は、言葉には一つの意味しかあつてはならないし、一つの意味しかない筈だ、と心から 信じてゐるから、私や福田氏が言ふ事を正しく理解しないで一面的に捉へて、揚げ足取りをしようとする。揚げ足取りされれば「弱い」のは私にしても福田氏に してもさうなのだけれども、しかしそもそも私なんかの文章は揚げ足取りの對象にする事それ自體が間違つてゐるんだよな。それが解つてゐてわざと間違つた攻 撃の仕方をしてくるアンチの人々は何を考へてゐるのだらう。

2009/8/20(木) 午後 3:23 [ nozakitakehide ]

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佐藤さん、

> 「ルール」も「約束」も守れない爺が、「常識」が聞いてあきれる。

爺が守れなかつた「ルール」や「約束」つて何でしたっけ。

「常識」と言えば、「假名遣ひは規範」の話は、納得して頂けたのでせうか?それと、佐藤さんが「解つてもらはう」と努力した例は見付かりましたか?

>>公約
> 野嵜さんはちやんと「撤回」してゐるのだが、爺は「辯解」すらせず圖に乘る始末。でも「ノザキ」はあざけり爺は不問。

何の話だか解りませんが……。爺は何かを弁解する必要が有るんでしたっけ。あと「あざけり」「不問」の主語はどなたですか?

> 馴れ合ひ……云々

こんなに明白な齟齬が有るのに、佐藤さんと野嵜さんは、お互いに批判するどころか、それに言及もしない。これを馴れ合ひと呼ばずして、何と呼べば良いのでせうか。 削除

2009/8/21(金) 午後 3:58 [ ]

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野嵜さん、

しばらく見ないうちになんだか興味深い展開が有つたやうですね。Yahoo!あんしんねっとの「コメントチェッカー不適切投稿確認のお知らせ」で すか。その「公約」氏のどんな「言葉」がひつかかつたのでせうか?コメントチェッカーに不適切と確認されたら、そのコメントだけ野嵜さんが削除できるので すか?野嵜さんや佐藤さんは、社会通念上かなり問題がある発言をなさつてゐると思ひますが、そつちはお咎め無しなんですか?そのチェッカーの明文化された ルールて、どこかに有りますか?

「コメントが 500 字まで」だなんて何てショボいシステムだ、等と思つていましたが、前言撤回。これは興味津々ですね。 削除

2009/8/21(金) 午後 4:00 [ ]

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> 「現代仮名遣い」は「その採用する原理が、反証可能でな」いと私は言つてゐるだけですよ。説明終り。

いや、「歴史的假名遣ひは科学的である」もしくは「歴史的假名遣ひは科学的研究に基てゐる」が中心的論点だと思ひます。それで「説明終り」にはならないでせう。

> 自分に都合良く解釋するのはやめていただきたいものですね。川島氏は、法律学は科學的でなければならない、と言つてゐるんです。「科学的仮説ではあり得ない」等とは言つてゐません。

いえ、川島氏がどうかうではなくて、野嵜さんが爺の言ってゐる事を間違えて要約してゐる、と言ってゐるんですよ。

「假名遣ひは規範であるから科学的仮説では有り得ない」が爺の言っている事で、これを法律に照らして云ふなら「法律(の条文)は規範であるから科学的仮説では有り得ない」となります。「…研究」がどうかうとは言つてないと思ひますが。 削除

2009/8/21(金) 午後 4:01 [ ]

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> 活用の研究と何度も何度も私は繰返し言つてゐます。或語が「四段に活用する」と云ふのは、全て假説であり、それら個別の事例について檢討可能であるから、 活用の研究は科學的である。そして、その結果として明かになつた語の活用形と云ふものを、本來の日本語の用言の形と認めて、規範に改めて採用するのが歴史 的假名遣の立場であるけれども、それは科學的な態度であらう

ご説明ありがとうございます。

> と斯う説明すると、爺は「そんな事を言はれても私は興味がないのだから無視してやる」と言つて人の説明を切つて捨て、「假説を擧げろ」「擧げろ」「擧げろ」と連呼する。

そんな事は言ってません。第一、ここまで具体的に伸べて頂いたのは初めてだと思ひますよ。苦節半年、やっと念願が叶った訣です。

ただ、それが「科学的である」といふのは、ちと早計ではないでせうか。

1) 個別の事例について伸べなければ、検討も反証も可能では有りません。(「或」語が……、と言ったのでは反証可能ではない、と云ふのは野嵜さんも仰ていたところですよね。全称命題でない、と云ふ意味です。) 削除

2009/8/21(金) 午後 4:04 [ ]

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2) また、それを規範に適用する「手順」や、どの規範を説明してゐるのかを明らかにしなければ「規範が科学的である」の説明になってないと思ひます。

有り体に云ふなら、かつて四段に活用してゐた動詞が現代語では五段になってゐるのに、どうして四段活用した時代の假名遣ひを用ゐなければならないのか、そ の原理・要求はどこから来るのか、等の疑問ですね。云ひ換へると、何故その特定の時代の假名遣ひが「本来」の日本語(假名遣ひ)と言えるのか、と云ふ事に なりませうか。

> しかし、そもそも「かなづかひの研究を一言で表現する假説を擧げよ」と云ふ爺の要求は、無茶で、誰一人應ずる事が出來ない。

いえ、全てをカバーしろと言ってゐるのではなくて、「科学的かどうか」を議論できる「具体的」な仮説を挙げて欲しいと言つてゐるのですよ(とりあへず は。)しかも、「科学的である」と言ってゐない人にそんな(「仮説」を挙げる)義務は無いから、できなくても問題ありません。でも「科学的である」と(初 めて)称した野嵜さんは、応ずる責任が有るでせうね。 削除

2009/8/21(金) 午後 4:05 [ ]

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